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「私たちを引き離すことのできない、その愛」
ローマ書8章31〜39節
私たちは、主イエス・キリストの栄光を
得させるために、召されました。
召されるとは、私たちが応答したか、どうかにかかわらず
その人の名前がずっと呼ばれ続けていることを意味します。
呼び続けてくださる、変わらない神様のその愛。
未だ神様を知らなかった時に、どんなに神様から自分の名前が
「クラス」の中で呼ばれても知らんぶりをしたし、
聞いてもなかった。
そんな「神の学校」なんて関心もなかった時代を生きていました。
その間、神様は私たちがまだ出席もしていない、
空いているその席を眺めながら
どんな気持ちで私たちの名前を
何十年も呼び続けてきたでしょうか。
ここに、私たちが知らなかった、
神様の愛が見えてくるのです。
暗闇や罪の中をさまよったり、
おのれの道ばかり求めていた時も
神様は、空いていた私の席と机を見ながら
私たちの名前を呼び続けていたのです。
それを考えると、胸が熱くなります。
これがその愛です。(完170220)
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・あなたの神は小さ過ぎる。
ある人にとって、神は小さく程ほどの存在になっている。
それゆえ、信仰はあってもなかなか成長しない。
恐れが絶えない。より多くの祝福のチャンスを逃しているように見える。
一方ある人にとって、神は無限に大きく偉大な存在である。
どんな苦難の中でも不思議な平安と喜びに満ちている。
なぜ、同じクリスチャンなのにこんなことがあるのか。
詩篇8篇でダビデは、
「なんと力強いことでしょう」と神の偉大さを歌っている。
ダビデにとって、
神様は本当に偉大で、本当に大きい方だと。
ダビデはどこからそんな確信が与えられたのか。
今、あなたの神は小さすぎるなら、
神様の偉大さと大きさの恵みに預かって欲しい。
神様は本当に大きな偉大な方であることを
知って欲しい。(完。160524)
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